工作物(⊃営造物)責任における瑕疵

  • ?問題点

1?所有者の責任の性質
2?瑕疵とは何か
3?自然力と瑕疵の競合
4?第三者の行為と瑕疵の競合
5?予算上の制約と瑕疵
6?工作物責任と営造物責任の関係


  • 1 所有者の責任の性質

(1) 工作物の占有者は717条1項但書によって,「必要なる注意をなしたる」ことを立証すれば責任を免れ,所有者がその責任を負うことになる。ところが,所有者にはこのような免責規定がないため,その責任は無過失責任であると考えられる。
  ex.陥没の危険のある道路の所有者が,通行止めの看板を立てた
(2) しかし,損害が発生したのに「無過失」ということは考えられるのか。道路の陥没の危険があるのなら,通行止めの看板を立てるだけではなく,物理的に車両止めをおくなどの対策も可能であったはずである。そうすると,所有者の責任は過失責任であると考えることもできる。
  では,所有者に責任能力がない場合はどうか
    ex.小学5年生が課題で作成した壁画が倒壊し,通行人がけが
    cf.責任能力

責任能力とは何か
不法行為責任を負うのに必要とされる知能・判断能力のこと(民法712・713条参照)。その有無は個別・具体的に判断される。一般に12歳頃から備わると考えられる。

(3) 所有者に責任能力がなければ,その監督義務者が責任を負う(714条)。尚,「責任能力がない子が他人に加えた傷害行為に違法性がない場合には,親[監督義務者]は責任を負わない(最判昭37・2・27)」。

過失責任⊃無過失責任? 714条の監督義務者の責任は但書が示すように,過失責任であり無過失責任ではない。ところが,717条の責任を無過失責任とすると,監督義務者は,責任無能力者の工作物責任をいかなる場合でも賠償しなければならなくなる。この,717条を無過失責任と解した場合と714条の監督過失責任との競合が問題となる。この点,717条は714条の後にある条文であり,714条の特則としての役割が考えられること,工作物責任において被害者救済の必要性は加害者の特殊な事情に応じて変わるものではないことなどを考慮すれば,責任無能力者の工作物責任は監督義務者の過失責任を排除すると考える。
  • 2 瑕疵とは何か

(1) 「設置・保存」とは行為態様であるから,この瑕疵とは設置・保存にあたりなすべき義務を怠ったという占有者・所有者の義務違反である。ところが,この瑕疵を物の客観的性状の瑕疵ととらえる客観説もある。
(2) 客観説
  ア 内容
    瑕疵:物の客観的性状の瑕疵
    物に客観的性状の瑕疵があれば,絶対に責任を負う?
      ↑不可抗力による免責事由がある
        →無過失責任ではあるが,絶対責任ではない
  イ 判断基準
    物そのものに瑕疵があるかどうか
      を,客観的に判断
        ∴場合によっては無過失責任↑
    cf.PL法
  ウ その意義
    被害者救済(目的論的解釈)
      ∵立証責任の緩和
        ∵内面としての過失の立証より,外面としての物の瑕疵の立証のほうが容易
(3) 義務違反説
  ア 内容
    瑕疵:設置・保存にあたりなすべき義務を怠ったという占有者・所有者の注意義務違反
  イ 判断基準
    工作物の設置・保存にあたりなすべき注意義務を怠ったかどうか
      を,客観的に判断

注意義務の客観化 不法行為における注意義務は,行為者の個別具体的な注意義務ではなく,行為者が置かれている状況から一般的に要求される注意義務である。そうすると,たとえば行為者が自分なりに一所懸命注意しても,望まれる注意義務を果たしえない場合が出てくる。それでも,不法行為責任を負うとすれば結論的に無過失責任に接近するが,被害者救済を旗印としてそれは是認されている。「過失の衣を着た無過失」といわれる所以である。客観説は,「無過失の衣を着た過失」?

        ↑工作物・営造物の物理的状況も考慮される
          →瑕疵=物の状況+設置・保存の状況
            設置・保存の状況=適切な設置・保存の不作為←設置・保存の作為義務
              適切な設置・保存=危険性(予見可能性)→対処必要性←対処可能性
  ウ その意義
    不法行為法の伝統的継承(立法者意思解釈)
      =過失責任主義の貫徹

客観説批判 過失責任主義近代法の原則である。このため,安易にこの枠組みを崩すべきではなく,工作物責任の問題にあっても,過失があってはじめて瑕疵を認定すべきだとする主張がある。曰く,「客観説は被害者救済に雰囲気的には寄与してきたが,その理論構成は脆く,義務違反説こそが優れた理論構成を持ち,かつもっとも妥当な結論を導くことができる」。確かに,客観説といえども免責事由の存在が示すとおり絶対的責任ではなく,一定の過失が必要とされることにかんがみれば,結局それは義務違反説と結論を同じくするようにも思える。

★「悲劇の踏切」最判昭46・4・23
<事実>
Xら原告の長女A(3歳)がY(被告=京王電鉄)経営の井の頭線東大前駅(当時)〜神泉駅の間の保安設備のない踏切で,電車に轢かれて死亡した。1審は,電車の制限速度も守られていることや,運輸省通達によれば保安設備設置義務がないことから,Xの請求は,717条による請求ならともかく,709条による請求は失当として,Xの請求棄却。これに対して原審は,会社の過失を否定しつつも,本件踏切に警報機等の保安設備を欠くのは工作物に瑕疵があることになるとして,717条の責任を認めた。Yは,運輸省通達を守っていたのだから瑕疵はない,などとして上告。
<判断>
踏切は安全確保のためにあるのであって,安全確保ができなければ瑕疵がある。
その瑕疵があるかどうかは,具体的状況を基礎として,安全確保ができているかという観点から判定される。
この点,本件踏切は見通しが悪く,横断中の歩行者との接触の危険は大きく,現にこれまでも数度の接触事故があった。それに,事故当時の踏切の通行量が多かったことを考えると,本件踏切の通行は決して安全であったとはいえない。少なくとも警報機はつけるべきであったとの原審の判断は正当である。
運輸省通達は行政指導監督上の一応の標準として必要な最低限度を示したものに過ぎないから,これを守ったからといって717条の賠償責任は否定されない。
<整理>
「瑕疵」の判断に安全性が確保できているかどうかを参照している,という面では客観説であり,また,過失を認定しているわけではないから,義務違反説ではない。

(4) 両説の立証の違い
  ア 客観説
    →工作物に通常有すべき安全性の欠如があり,そのせいで損害をこうむったから賠償せよ
      =安全性のためになすべき注意を怠った義務違反

義務違反=間接事実or主要事実? 客観説に立ち,工作物の安全性の欠如を立証するとしても,それが争点になれば,じゃあ何が安全なのか,が問題となる。そして,また,どうすれば安全だったのか,問題となる。結局のところ,客観説でも「義務違反」の立証が必要になるが,義務違反説における義務違反は主要事実であるのに対して,客観説における義務違反は,間接事実であるところに違いがある。

  イ 義務違反説
    →工作物の設置・保存に義務違反があり,そのせいで損害をこうむったから賠償せよ
      =危険の存在←対策不作為

「推定」による客観説への要件事実的接近 危険性があれば,対策の不作為をあえて立証せずとも,対策の不作為は一応推定されると考えることができる。さらに,危険性をあえて立証せずとも,必要な安全性が欠如していることさえ立証すれば,危険性の存在は推定されると考えることができる。そうすると,原告が請求原因として立証すべき内容は,結局のところ客観説と異なることはなくなる。ただ,それでは義務違反説が客観説の批判の理由とするところの法文整合性の問題を生じ,また,被告にとって安全性の欠如が立証されてしまえば,即,反証の余地がなくなるのでは酷である。そこで,義務違反説は,やはり,安全性の存在ではなく,危険の存在とそれに対する対策の不作為を瑕疵の要件事実とし,そのうえで,作為義務を客観的かつ高度に設定する。

  ウ 判例の認定パターン
    ア) 本件はどのような事故か
    イ) どのようにすれば事故を回避できたか
    ウ) 措置を講じなかったことに対する評価


  • 3 自然力と瑕疵の競合

(1) 台風・水害・地震津波・・・わが国は天災が非常に多い国である。たとえば,震度7地震では建物の30パーセント以上が倒壊するとされる。このような巨大地震によって建物が倒壊した場合,建物の所有者・占有者・管理者に工作物責任を負わせるのは過失責任主義に反する。しかし,震度6,あるいは震度5ではどうか。自然力の寄与度が下がれば下がるほど,工作物の瑕疵性が際立つ。ただし,工作物の瑕疵が100パーセント寄与しているわけでもない。因果関係は「あれなければこれなし」でとらえられてきたが,果たして,自然力と工作物の瑕疵のどちらが「あれ」なのか判断がつかない場合がある。それでも,何とかして被害者を救済する必要がある。そこで,考え出されたのが割合的因果関係である。
(2) 割合的因果関係
  ア 内容
    因果関係を割合的にとらえる考え方
    自然力と瑕疵の競合だけに限られない
  イ 批判
    割合的因果関係は事実的因果関係とは違い価値判断が含まれるため,明確性に欠ける

★「飛騨川バス転落事故」名古屋地判昭48・3・30
<事実>
ツアーの一環として旅行に出かけたXらを乗せた観光バスの一団は,国道41号線を走行中,前途が土砂崩れで通行不能であることがわかった。主催者らが協議し,旅行は中止,引き返すことにした。ところが,帰り道も土砂崩れで通行不能。このため,バスの一団はやむを得ず国道上に停車していたが,そこへ土砂崩れが襲い,バス2台がその直撃を受け,直下の飛騨川に転落し,104名が死亡した。Xらの遺族は,Y(国)に対して国家賠償法2条による損害賠償を請求。これに対してYは土石流の発生は予見不可能で,不可抗力による事故だから,損害賠償義務はない,と主張。
<判断>
土石流の発生は予見不可能であった。が,そうであるとしても,もし本件国道の設置・管理においてそれ以外の点に瑕疵があり,その瑕疵と予見不可能な土石流の発生とが関連競合して本件事故が発生したとするなら,本件事故は,国道の設置・管理の瑕疵によって生じたといえる。
当日の集中豪雨は通常予想される範囲を超えるものだったが,本件国道は,通常予想される範囲内の降雨によっても,崩落の危険があって,それは予見しえた。このため,充分な管理体制がとられていなかった点に事故の一因(=割合的因果関係)がある。そして,不可抗力と目すべき原因が寄与している程度は4割である。
<整理>
道路の設置・管理に瑕疵を認めている(義務違反説)。

★「震度5」仙台地判昭56・5・8LD27423674
<事実>
昭和53年6月12日,宮城県沖を震源とする地震が発生,これにより崩れたブロック塀の下敷きになり,原告Xの息子が死亡した。このため,Xは所有者Yに対し717条に基づく損害賠償を請求。
<判断>
本件において,「通常備えるべき安全性」はブロック塀の築造当時,通常発生することが予想された震度に耐えうるかどうかを,地震の規模だけではなく,地盤等も総合的に考慮して決すべきである。
この点,ブロック塀が築造された昭和44年には,一般的な耐震基準もなかった。
また,震度に関しては,仙台市において過去に発生した最大級の地震に耐えうるものであれば,安全性は足りるといえる。これは,震度「5」である。しかしながら,震度は人が体感で測るものだし(当時),地域によってもばらばらな可能性がある。そして,本件ブロック塀が築造された地域においては,水道管の破裂などの被害が多く,同地域においては揺れが強かったのではないかと推測される。
これまでも,震度4の地震は3回あったが,それらの地震には本件ブロック塀は堪ええたわけだから,ブロック塀には瑕疵はない。
請求棄却。
<整理>
cf.http://www.ads.fukushima-u.ac.jp/seismic_res/report/1-3tomita.html
客観説。不可抗力の判断が分かれ目。

  • 4 第三者の行為と瑕疵の競合

★「予想しえない第三者最判昭50・6・26
<事実>
Y(奈良県)は道路工事をCに請け負わせ,Cは掘削工事を行っていた。工事現場を表示する標識として,Yにより前後にバリケードが設置され,更に赤色灯標柱も設置された。が,その赤色灯標柱をそこを通った車が倒してしまい,灯が消えてしまった。それに気づかずXらを乗せた自動車が対向車をよけようとして工事現場に転落,死亡した。相続人らがYに慰謝料を求めたのが本件である。
<判断>
本件事故発生時,赤色灯標柱が倒されたままだったのだから道路の安全性は欠如していたが,その事故が起きたのはYがいない夜間であり,しかも事故直前に通った車が倒してしまったのだから,Yがすぐさま赤色灯標柱を原状に戻すのは不可能である。このような状況の下においては,Yの道路管理に瑕疵はなかったと認めるのが相当である。
<整理>
一応は道路の瑕疵は認めているのだから,客観説によれば責任が認められてもよさそうである。が,最高裁は「道路管理に瑕疵はなかった」として責任を認めなかった(義務違反説)。

  • 5 予算上の制約と瑕疵

★「貧乏暇有り(高知落石事件)」最判昭45・8・20
<事実>
本件国道はたびたび落石事故があり,この管理を行うY(高知県)はたびたび見回りを行うなど対策を講じてきた。が,風化と雨により岩石が落下,通行中の自動車に当たり,被害者死亡。そこで,X(両親)はYら(国と県)を相手取り損害賠償請求。Yらは予算制約と天災で不可抗力的に生じた事故である,と主張。
<判断>
国賠2条の「瑕疵」とは,通常有すべき安全性を欠いていることをいい,過失の存在を必要としない。
この辺一帯の落石防止対策には相当な額になり,大変であろうことは推察できるが,だからといって,直ちに賠償責任を免れうるものではない。そして,本件事故は不可抗力でもなければ,回避可能性がなかったわけでもない。
<整理>
無過失責任を明言している。ただ,じゃあどうすればよかったのかを言っていない点については批判がある。敢えてフォローすれば,通行止めにでもすべきだったのではないだろうか。
客観説か義務違反説かは判然としないが,①瑕疵とは通常有すべき安全性を欠いていること,②過失の存在を必要としない(無過失責任),しかし③予算上の制約があれば絶対に賠償責任を負うとは限らない(無過失責任ではあるが,絶対責任ではない),としていることから客観説とみるのが妥当か。

(1) 工作物責任は市民法である民法が規定し,営造物責任は公法である国家賠償法が規定する。双方の関係は,国家賠償法4条が「前3条の規定によるのほか,民法の規定による」としていることから,営造物責任に関する損害賠償請求には国家賠償法2条1項が適用となり,民法717条1項は適用されない。したがって,営造物に関する民法717条1項による請求は,要件を満たさないものとして棄却されると考えられる(ただし,国賠法が制定されるまでは,学説・判例民法717条1項の類推適用を認めていた)。
(2) また,工作物と営造物はその広狭に違いがある。工作物は「土地に密着して作られたあらゆる設備」をいうが,営造物はこれに加えて動産も含まれる。
(3) そして,工作物責任は過失責任主義の流れを汲むことが立法者意思だが,営造物責任は,国家賠償法制定当時の民法717条の解釈である無過失責任を取り込んでいることが知られている。
(4) しかし,無過失責任といえども予見可能性や結果回避可能性を問題にする(高知落石事件)のは矛盾にも思えるが,論者はこれを過失責任への接近であるとし,一概に過失責任と構成しない。


  • 〆まとめ・・・客観説と義務違反説の優劣

(1) これまで客観説と義務違反説を具体的事例とともに検討したが,突き詰めれば突き詰めるほど,両説の壁は溶解する。違いは,当然のことながらそのアプローチの方法である。客観説は物の「客観」をまず問題視し,義務違反説は所有者等の「義務違反」をまず問題視する。そして,結論は,理論的には差異がない。では,どちらが優れた理論なのか。
(2) この点,義務違反説は客観説の「理論的脆弱さ」を更生するために考え出された理論であり,それは,これまでみたように,一定の評価をすることができる。では,義務違反説のほうが優れた理論だから,義務違反説のほうが優れているのだろうか。
(3) 立証の側面から見れば,義務違反説は注意義務を客観的かつ高度に設定するというが,この設定自体,裁判所の裁量次第であって,絶対の保障はないから,裁判所の恣意を許す結果となりえ,被害者救済に資すかは疑問である。客観説は,物の瑕疵=条文の瑕疵という基準で明確であり,裁判所の恣意の入り込む余地は,不可抗力以外にない。
(4) そうすると,①わかりやすくて,②扱いやすい,という2つの利点を有する客観説が優れていると解される。


  • 参考文献

判例タイムス366号16頁〜「営造物責任再論」植木哲
判例タイムス480号18頁〜「道路設置・管理の瑕疵について」國井和郎
民法の争点Ⅱ220頁〜「営造物の設置・管理責任」浦川道太郎
民法(初版)判例百選94
・「不法行為法」潮見佳男
・ジュリスト増刊総合特集 交通事故「道路管理上の責任」古崎慶長
行政法の争点66・67
Practice of Law:法解釈の議論と学習