政教分離原則

● 意義

国家の宗教的中立性保持のため,国家と宗教の関係を分離する原則(憲法20条3項)。
→信教の自由(同条1項)を背後から支える(制度的保障
←財政面の裏づけ(89条。宗教上の組織・団体への公金支出禁止)

  • 沿革

昭和20年にGHQから発せられた神道指令に始まり,翌年の天皇人間宣言とあいまって,戦前の軍国主義国家神道の解体を目指したものとされる(法律学小事典)。国家神道とは,明治維新から第二次大戦までの間に,日本政府の政策として成立していた国家宗教である(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93)。そして,そもそも神道とは,日本において自然発生的に生まれた多神教の宗教である(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93)。
これらのことを考え合わせると,GHQは,日本政府が日本人を統率するのに用いていたツールたる宗教を,思想・信条の自由を根拠に解体したものであると理解できるが,そもそも神道の性格は,他の宗教の神を入れるための「入れ物」であると解することもできる。現に,思想の自由が明言された明治憲法下において,神道は「宗教ではない」という政府見解が採られていたという(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93)。
不毛な文章にも思えるが,結局のところ,政教分離原則で問題になる事例の多くは,「宗教とは何か」という定義問題に帰着しているのである。

宗教
英語「Religion」に充てられた訳語。幕末期に生まれた。Religionはラテン語の「religare」に起源を持ち,この語は「結合」を意味する(この「結合」をサンスクリット語では「Yoga」という)。一般的に,宗教は信仰対象たる「神」を持つが,多神教たる神道にはこれはない。そこで,何らかの教えをもつ集団,と定義することもできそうであるが,そうすると「なかよく助け合って行動する」という行動目標を掲げる小学校もこれに含まれてしまう。結局,宗教の定義は一義的には困難であり,このことが,政教分離原則の「教」の部分を曖昧にする結果,政教分離原則全体が困難な問題に直面せざるをえないのである。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

■ 事案

判例は津地鎮祭事件において目的・効果基準を打ち出し,その後の事例においてもこの基準が用いられている。政教分離原則が問題となる事案の多くは,国・地方公共団体と神社とのかかわりについてである。宗教系私学への助成金が問題とされないのに,玉串料などが問題視され,訴訟となる背景には,政治問題の切り口として訴訟が利用されているという事実がある。

★「津地鎮祭事件」最大判昭52・7・13百選48
<事実>
三重県の津市が市の体育館建設の地鎮祭において謝礼金等約7000円を支出したことが,同市の市議会議員により憲法20条・89条違反とされた。
<判断>
国家と宗教の完全分離は不可能に近いため,政教分離に反する行為とは,行為の目的が宗教的意義を持ち,効果が宗教に対する援助・助長・促進・圧迫・干渉等になるものをいう。
本件の目的は世俗的なものであり,宗教に対する干渉等を加えるものではないから,憲法20条3項が禁止する宗教的活動に当たらない。

★「愛媛県玉串料訴訟」最大判平9・4・2百選50
<事実>
愛媛県靖国神社例大祭等に関し公金を支出したことが,同県の住民により違憲とされた。
<判断>
(目的・効果基準を採用したうえ)宗教団体である靖国神社が主催する例大祭に公金を支出することは宗教的意義があり,このことからすれば,地方公共団体が特定の宗教団体に対して,特別の方法でかかわりあいを持つことは,特定の宗教に対する援助等につながる。したがって,憲法20条3項・89条に違反し,本件公金支出は違法である。