基本的人権の私人間効力

基本的人権は,対国家との関係において効力を有し,私人間の関係にあっては,私的自治の原則のもと,適用がないと考えるのが通常である。それは,人権が,主に国家権力からの侵害を受け,保障が必要とされた沿革に起因する。しかし,資本主義社会の高度化により,私人間の格差は拡大しつつある。ビル・ゲイツ保有資産は,中国の1年間の国家予算に相当する。そうすると,私的自治の原則は,拡大しつつある私人間の格差において妥当なのかが問題となる・・・マイクロソフトトヨタはもはや「国」ではないか? 国だとしたら,憲法規定を及ぼすべきではないか? このように,元来,国家と私人との関係において機能することが予定されていた憲法基本的人権に関する規定を,私人間においても適用を試みる議論がある。それが,私人間効力に関する議論である。

★「三菱樹脂事件最大判昭48・12・12百選11
<事実>
東北大法学部を卒業した原告は,三菱樹脂に3か月の試用つきで採用されたが,その期間中,原告が大学在学中に行った政治活動を,面接の際に秘匿していたことを理由に,三菱樹脂側が本採用を拒絶。このため,原告が労働関係の存在確認を求めた。
<原審>
憲法19条等の規定は,私人間でも一方が優越的地位にある場合には適用がある。
一般の商事会社にあっては,労働者の思想・信条は特別に業務に関係があるものではないから,採用の際にそれをたずねることは,公序良俗に反する。
<判断>
私人間においては,憲法規定の適用はなく,各種「法律」の適用があるにすぎない。
また,憲法は思想・信条の自由を規定すると同時に,財産権の自由なども規定しているのであるから,企業者には採用の自由があるため,思想・信条をたずねたからといって,それが当然に不法行為になるなどということはない。

実質論 この私人間効力の論争は,三菱樹脂事件を契機になされるようになったが,その内実は,「どのように適用するか」という議論しかなされていない。つまり,「どのようなときに適用されるか」という実質論は議論されていない。この実質論が,今後の課題であると考えられている。

■ どのように適用するか

本来的に,基本的人権の保障は対私人を想定していない。そこで,適用があるとした場合に,その理論構成が問題となる。

  • 直接適用説

私人間においても,憲法の人権規定は私人間においても,直接,適用があると考える。当該規定は,なにも私人対国家という関係においてのみ機能するのではなく,私人間においても,作用する。
このように考えることもできるが,やはりこの説は私的自治の原則を真っ向から否定してしまうことに問題がある。しかし,これに対する反論として,次の段階で利益衡量が問題となる(後述)以上,結論としては私的自治の原則を否定することにならない,ということも考えられる。

  • State Action(国家類似説)

助成金などの優遇を国家から甘受している私的団体や,巨大な企業などを,擬制的に国家的地位に格上げし,憲法規定の適用を認める理論。アメリカの判例法である。
そもそもこの理論は,契約関係になく,民法90条の適用がない「事実行為による人権侵害」をいかに救済するかに充てられる。事実行為による人権侵害には,不法行為規定の適用が考えられるが,不法行為に至らない程度の人権侵害もありうるところである(たとえば,食べ放題レストランの店主が,相撲取りの飲食を拒絶することも「私的自治の原則」において許されると解されている(「NHK生活笑百科」))。このような場合に,憲法規定の適用を認めれば,妥当な解決が図られると考える。

  • 背後効力説

私人の人権侵害の背後には,国家の立法不作為など,何らかの積極的な侵害行為があるわけではないが,消極的な侵害行為がある。ゆえに,私人の人権侵害は,国家による,間接的な人権侵害であるから,私人の人権侵害にも,憲法規定の適用が認められる。

  • 間接適用説

憲法規定の直接的な適用はないが,私法上の一般条項などの解釈に,憲法の価値判断を斟酌する。ドイツ・日本の通説。
人権規定の沿革と,現代社会の現状をバランシングするという面では妥当な説ではあるが,私法の解釈に憲法を援用すれば,結果として私法が骨抜きになり,憲法規定が前面に出る結果,かえって私的自治を否定してしまうことになりかねない。また,解釈に援用するということ自体,法の安定性を欠くため,ここでもやはり私的自治の否定につながりかねない。

  • 無効力(非適用)説

憲法の人権規定を考えたときに「もっとも素直な帰結」(百選)である。三菱樹脂事件最高裁判決を,この無効力説としてとらえる見解もある。


■ 人権の衝突

私人間効力と認めれば,侵害主体に人権規定の効力を及ぼすことができる。しかし,私人間効力を認めることは同時に,侵害客体にも人権規定の効力を及ぼすことも意味する。三菱樹脂事件で,原告が面接官に思想・信条をたずねていただろうなっただろうか。私人間効力を認めることによる反射効として,いわゆる利益衡量が問題となる。
この点,背後効力説や国家類似説など,一方を国家として扱う理論は,既存の物差しの準用が認められるため,狭義の利益衡量は問題とならない。また,直接適用説にあっては,当事者である私人同士に適用が認められるから,利益衡量が問題となり,具体的な紛争において,調整が必要となる。これらに対して,間接適用説は,そもそもいかなる場合に憲法規定が適用されるのか曖昧であり,いわば「適用するか,しないか」それ自体に利益衡量の実質が託されている。