北方ジャーナル事件

最大判昭61・6・11百選73

■ 事実

北海道で発刊されている月刊「北方ジャーナル」は,北海道知事選に立候補予定のYについて名誉毀損的表現を用いて論評を行い,その発売日を控えていた。これを知ったYは,この発売を差し止めるため,仮処分を札幌地裁に申請,即日仮処分の決定がなされた(北方ジャーナル側(同社代表取締役Xの審尋は行われなかった))。これに対し,XはYおよび国を相手取り損害賠償請求訴訟を提起。最高裁への上告理由は憲法21条違反。


★ 判断

  1. 仮差し止めは検閲ではない。
  2. 事前抑制は,厳格かつ明確な要件の下においてのみ許容される。公共の利害に関する事項においては,原則,事前抑制は禁止される。
  3. 公共の利害に関する事項の表現行為の差し止めについては,仮処分を行うために,債務者の審尋・口頭弁論を行う必要があるが,債権者の提出した資料で実体的要件が満たされるのであれば,審尋・口頭弁論をしないで仮処分をしても憲法に反しない。

_〆 研究

表現の自由が,「民主政を支える根本原理である」ことにかんがみれば,検閲は許されないはずである。が,この判決は,検閲が絶対に許されないことを確認しつつも,それとは別に「事前抑制」という概念を打ち立て,この「事前抑制」は「厳格かつ明確な要件の元においてのみ許容される」とした。それは,表現の自由が,民主政を支えるものであると同時に,他人を攻撃する害のある武器にもなりうるからである。
本件では,上記他人がYに当たり,Yはその名誉権の侵害を訴えた。名誉権は憲法上明文はないが,幸福追求権(13条)から導き出されるひとつの権利であると考えられる。そうすると,本件では,表現の自由を主張するXと,幸福追求権を主張するYとの「衝突」が生じている。そこで,裁判所としては表現の自由ばかりを尊重するわけにもいかず,抽象的には利害調整をする必要がある。具体的には,北方ジャーナルの「発行差し止め」が考えられる。この点において,①どのような(実体法的・訴訟法的)要件で差し止めをすべきかがまず問題となり,それを策定するプロセスにおいて,表現の自由の本質がさらに問題となる。

表現の自由とは,個人が外部にむかって自らの思想を表現する自由をいう。市民の自由な論評が民主政=国民主権を支えるのはいうまでもなく,表現の自由は,精神的自由権の最たるものとして,最大限の保護が与えられる必要がある(憲法21条1項)。ゆえに,検閲は許されない(同条2項)。しかし,事前抑制は一定の要件の下に許容されうると考えるのが本判決である。なぜか? それは,表現の自由が民主政を支えるための「論評の自由」と換言しえ,さらに差し止めにつき「反論の自由」が確保されれば,表現の自由は侵されないといえるからであろう(家永教科書裁判)。つまり,表現の自由は誰もが視認できる空間において,自らの主張をすることができる自由と換言できるため,これらの表現の自由の本質が侵されなければ,一定の要件の下,その制限をすることができると考えられる。

  • ①事前抑制の要件

本判決は,「厳格かつ明確な要件」であれば,事前抑制ができるものとした。そこで,多数意見は刑法230条の2を引き,具体的に要件化をしているが,これには「個別的アプローチ」を図ったのみであり,一般的な要件化はされていないとの見解がある(本件は報道機関の選挙報道に関係する)。
また,訴訟法的要件については,債務者(表現者)の審尋・口頭弁論を原則的に必須としたが,本件のように,債権者の資料のみで実体法的要件が満たされれば必須ではないとした点については,検閲に該当するという見解から,むしろ(実体法的要件が)疎明されさえすればよいという見解までさまざまである。
事前抑制の要件に関して,このように見解が定まらないのは,表現の自由の本質に関して,また,衝突する人権の理解に関して,おのおのの理解があるからであろう。そして,今日のマルチメディア社会においては,報道機関がなす役割は逓減しており,むしろ個人情報の保護が喫急の課題になっていることにかんがみれば,事前抑制はより容易になされるものと考えられる。


憲法 第三版

憲法 第三版

憲法判例百選〈1〉 (別冊ジュリスト (No.154))

憲法判例百選〈1〉 (別冊ジュリスト (No.154))